残された女の子
奇妙な手術から数カ月後、父親に手を引かれ歩く女の子の姿があった。あのときの胎児はなんとか一命をとりとめ、すくすくと成長しているようだ。
父親は妻をなくしたショックから、生気を失っているように見える。とてもやつれた表情をしているが、それとは、対象的に、女の子は、あちこちキョロキョロ見回して、口をぽっかり空け、不思議そうな表情をしていた。
前方から年老いた男性が歩いてくるのが見えた。
父親は、とっさに身を隠そうと娘の手を引いたが、間に合わなかったようだ。
「おや、こんにちは。珍しいですね子供を連れて」
「ははは、そうですね...」
父親は乾いた声でそう言った。
「そういえば、お子さんの名前はなんていうんですか?」
ここで、父親は、少しバツの悪そうな顔をして、いつもと同じセリフを吐き出す。
「この子、まだ名前を決めてないんです...」
「えっ?それはなぜ?」
このやり取りはもう何度目だろう。しかし、父親は、いつもと同じように正直に話すことにした。今までの人生で最も後悔していることを話すのはとてもつらいことだった。
「...妻が、私の妻が亡くなる直前...何か言いかけたんです。お腹の子供を気にしながら、何かを。私は、それを聞き取ることができなかった。だから、この子の名前を、まだ決められないんです...」
「...」
「...ダメだってことはわかってるんです。前に進まなきゃって。でも、どうしても...どうしても、まだ決められないでいるんですよ...」
ご近所さんは、それを聞いて、何か言おうとしたが、しかし、言葉が出なかった。これほどまでに悲しいことがあるのだろうかとさえ思った。
もしかしたら、この父親は、妻の最後の言葉を汲み取れたら、妻が生き返るとでも考えているのかもしれない、突拍子もない考えだが、そんな風に感じた。逆に間違ってしまったら、愛する妻の死が、現実に、間違えようのないものになってしまう。きっとそれが怖いのだと。
その父親が母親の後を追うように亡くなったのは、それから数カ月後だった。
そして、残された子供の行方は誰も知らなかった。
しかし、とても変わった子だったと、住民は口をそろえてそういった。
住民たちは知らないが、その子の遺伝子は、いくつか通常の人間とは異なっていた。その子の遺伝情報は、アイに書き換えられ、最適化し、進化した。
彼女は、その生存を維持するために食べ物を食べる必要がなかった。水と二酸化炭素、太陽の光があれば、それがエネルギーになる。詳しい話はわからないが、まるで植物の遺伝子を応用したかのように見える。また、一部の肉体は、機械的な性質、属性を備えてた。
その後に発見された魔法は、必ず道具が必要になる。道具は何でも良いが、これには非常に深淵な仕組みが存在していたし、魔法を予言したアイですら、そのすべてを知るわけではなかったのだが、いくつかの重要な情報を抑えることには成功していた。
魔法道具(魔法の行使に必要な道具)は、ものによって、魔法の精度、効果が違ってくる。先端が尖った棒だとか、拳銃がよりその効果、精度を高める。次に、道具の性質である。例えば、植物は記憶を呼び起こしやすいとされているため、木材でできた杖などは、魔法の行使にとって、非常に最適なことがわかった。また、植物に近い生命である昆虫を象ったものも、杖ほどではないが、威力を発揮するらしい。なぜかはわからないが、その理由の大半は、人間が太古から道具を使う生き物だったことが大きいと考えられた。
しかし、残された女の子は、魔法道具を必要としない唯一の例外だった。もしかしたら、それは、バイオテクノロジーと遺伝子改変による思わぬ副産物なのかもしれないが、詳しいことはわかっていない。
しかし、いくら生きるために必要なものが、ほとんどなにもないにしても、身寄りも誰もいない状況下で、彼女は、残骸のような危険な場所で、たった一人で暮らすことになったのだった。
再興したばかりの魔法国がその少女を保護し、そして、利用しようとするその時まで。